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マリア・デ・ポルトゥガル (1521-1577) : ウィキペディア日本語版 | マリア・デ・ポルトゥガル (1521-1577)
マリア・デ・ポルトゥガル(Maria, Infanta de Portugal, 6.ª Duquesa de Viseu, 1521年6月18日 リスボン - 1577年10月10日 リスボン)は、ポルトガルの王女。ポルトガル王マヌエル1世とその3番目の王妃レオノール・デ・アウストリアの間の一人娘。ヴィゼウ公爵夫人。 両親の第2子、長女として父の死の1ヶ月後に生まれ、誕生後すぐにヴィゼウ公爵位を授けられた。1530年に母レオノールが弟の神聖ローマ皇帝カール5世の意向でフランス王フランソワ1世と再婚したため、母とは離別を余儀なくされた。母娘は1557年にレオノールが生国スペインに帰国した際にようやく再会したが、マリアは母とスペインで暮らすことを拒み、母の許に3週間ほど滞在したのちポルトガルに帰国した。 マリアはリスボン宮廷において文芸のパトロンとして活躍した〔Paulo Pereira, ''Enciclopédia dos Lugares Mágicos de Portugal'', volume IX〕。従弟のスペイン王フェリペ2世の2番目の妃になる縁談もあったが、結局実現しなかった〔Juan de Mariana: ''Historia general de España'', vol. XIV〕。そのまま独身を通し、1577年に亡くなってリスボン郊外のセニョーラ・ダ・ルス礼拝堂(Igreja de Nossa Senhora da Luz)に埋葬された。 == 脚注 == 〔
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